最高裁判所第一小法廷 昭和41年(あ)2151号 決定 1967年3月30日
主文
本件上告を棄却する。
弁護人野方寛の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、引用の判例(大正九年一一月一日判決とあるのは、大正九年一二月一日判決の誤記と認める。)が、事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも上告適法の理由に当らない(なお、被告人が、所論偽造にかかる福岡県立三池高等学校長木村利雄名義の渋谷弘文の卒業証書を、同人と共謀のうえ、真正に成立したものとして、その父渋谷宗夫に提示した行為を、偽造公文書行使罪に当るものとした原審の判断は相当である。)。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(大隅健一郎 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 岩田誠)
弁護人野上寛の上告趣意
第一点 原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反することを認められ、判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認がある。
一、公文書関係についての原判決の要旨は「これを他人に提示することは、まさに右文書をその本来の用法に従つて使用するものであり」「従つて偽造文書たる右卒業証書をその情を知りながら真正なものとして他人に供した以上偽造文書の行使罪が成立する」との見解であつて右文書の提示については「単に相手方である父親を満足させる目的のみを以つてなされたものとしても相手方に於て右文書についてなんらの利害関係もなく、かつ右利害関係につき社会生活上なんらかの行為に出る可能性が存じないものとはいい得ない(たとえば、相手方においては提示者の意図の如何にかかわらず、右文書に記載されている虚偽の事実を真実と誤信して更に他人に吹聴したり、右虚偽の事実にもとづいて提示者の将来のために第三者と交渉をする等の可能性が存ずることは容易に推測し得るところである)としかし此の判示に従えば、たとえば、偽造文書に基づいて登記申請書を作成するため右文書を代書人に交付した場合、当該代書人は該偽造文書に基いて従来登記申請書を作成することの可能性は容易に推測し得るところであるが、右のような場合かくの如きは「之を利害関係人に示し又は之を事実証明の用に供したるものとは謂うべからず。之を指して文書を行使したるものと謂うべからず」とした(大正九年一一月一日判決学説判例総覧刑法各論(上))右判例と相反する。
弁護人等の第一審以来主張して来た処は本件文書偽造同行使につき行使の範囲、行使の相手方、程度等、その内容から犯罪の成否を論ずべきものとし、行使の相手方は当該、文書につき何等かの利害関係を有する者でなければならない、それは行使は相手方をして、利害関係につき権利義務又は社会生活上重要な事項に関する何等かの行為をさせようとして行われることが必要であつて、そのような意味を持たない行為については別段文書に対する公共の信用を害する恐れあるものとして処罪の必要がないからである。それ故単に偽造文書の係関を依頼して他人に交付しただけでは行使とはいえないし、偽造の不動産売買予約証書に掲げる権利関係に基いて、不動産所有権取得の仮登記仮処分命令申請書を作成するため、その証書を代書人に交付しても、単に自己が一定の文書を作成するに際り、自己の委託に応じて代書する者に対して作成の資料を開示したに過ぎないから、文書を行使したとはいえない。又老母を喜ばせる目的で偽造した預金通帳を見せる行為なども、偽造文書の行使とはならぬと解されている。
同様に、例えば、父の要望に従つて自動車運転免許を得るための試験を何回受けても合格しないため、父の落胆叱責に困つた息子が、父を安心させ叱責を免れるだけの意図目的で運転免許証を偽造した上、これを父に見せ又は交付した場合においても、偽造公文書の行使とはならない。
蓋し、これ等の場合においては、偽造文書を母又は父に見せ又は交付する行為は専ら母又父の感情的満足乃至叱責をやめさせるという利害関係のためにのみ偽造文書を使用したものであり、その利害関係につき権利義務又は社会生活上重要な事項に関する何等かの行為をさせようとして使用されたものでないからである。叙上の通りであるから単に他人をして偽造文書を真正な文書と誤信させる目的があつても、これを以て行使の目的ありとすることはできず又単に他人に偽造文書を真正な文書として示し若しくは交付し、その通りに誤信させたというそれだけでは偽造文書の行使ということにはならない。従つてこの点に関する公訴事実は十分ならずして、被告人は無罪との判定するのが相当であると思料する。